弔事における装いについて②

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喪服

こんにちは!本日の家族葬・直葬の心響(こきょう)ブログは業務部の坂本が担当させていただきます。
今回は前回に引き続き、弔事(ちょうじ)における装いについてお話しさせていただければと思います。

弔事の際に用意する喪服、これは黒をイメージされる方がほとんどだと思います。
しかし驚くべきことに、昔の日本には白い喪服が主流であった時代があることをご存知でしょうか。理由こそ明らかになってはいませんが、喪服が初めて登場したといわれる奈良時代から1000年以上に渡る長い歴史の中、日本では「喪服は白」という考えが一般的だったのです。

「喪服は黒」という常識が当たり前となった我々には想像し辛いかもしれませんが、時代劇などの切腹シーンで白装束(しろしょうぞく)を着ている姿を思い浮かべると少し納得がいくかもしれません。

白装束

そのような伝統が、なぜ現代の「喪服は黒」という価値観に変わったのでしょうか。
明治時代、皇室のご葬儀に参列した欧米諸国(おうべいしょこく)の国賓(こくひん)達が揃って黒い喪服を着ていたのを見た政府が、海外の目を気にして日本人の会葬者にも黒で統一するよう命令がなされました。
これをきっかけに皇室の喪服は黒と正式に規定され、上流階級の人々の間では黒を喪服の色と見る風潮が高まりました。

そして、庶民の間にも喪服を黒とする認識が広まった決定的なきっかけは第二次世界大戦にあります。
当時の喪服は貸衣装(かしいしょう)を利用することが多く、白と黒のものとが混在していたそうです。しかし大戦が始まり戦死者が増えてくると、着られる頻度が増えたことで白い喪服は汚れが目立ち、すぐに使い物にならなくなってしまいました。
そのため貸衣装屋は汚れが目立たず手入れのしやすい黒の喪服を揃えるようなり、また黒を統一している諸外国の影響も受け、急速に庶民の間にも黒い喪服が広まったという背景があります。
このように我々が何の疑いもなく着用している黒い喪服は、比較的近年になって生まれた風習なのです。

今回は喪服が現在の形に落ち着いた歴史について簡単にお話させていただきました。
次回、この心響(こきょう)ブログをご覧のみなさんが1番気になるであろう、喪服を着る上でのマナーについてお話させていただければと思います。
ぜひお付き合いください。