長距離搬送

今日は島根県へ

先日「ブラタモリ」で島根県の皆生温泉をやっていたので寄りたかったですが大急ぎでとんぼ返り。

何となくお昼の食事のみ島根らしい名物をと思い一時の休息。

新人君も初の長距離搬送ご苦労様でした。

研修にてアップデート

今月完成のエンディングノートですが研修明けに学んだ内容をもとにアップデートを数箇所提案いただきました。

今日早速アップデートしたノートをスタッフ家族に配って検証作業です。

 

研修2日目

今日はもちろん勉強頑張っていますがブログではグルメレポートです。

お昼はお台場にてラーメン。

夜は焼肉屋…研修の楽しみですね。

社長いつもありがとうございます。

昨日から東京

昨日から東京ビックサイトにて葬祭イベント参加中。

制作部と業務で新たな試みとして参加です。

今後はサービス向上のための勉強が山積みです。

3日間頑張ります。

枕飾り②

枕飾り

前回に引き続き、ブログを担当させていただく直葬・家族葬の心響(こきょう)業務部の村橋です。よろしくお願いいたします。
今回のブログでは、枕飾りとは一体どのようなものなのかご紹介させていただきます。

結論から申し上げますと、枕飾りとはお通夜、ご葬儀を行う前、故人様をご安置する際に設置させていただく簡易的な祭壇を指しております。

仏教での枕飾りの内容としましては、経机(きょうづくえ)の上に香炉(こうろ)、燭台(しょくだい)、鈴(りん)、線香、花立てを準備させていただきます。ちなみに香炉、燭台、花立てはまとめて三具足(さんぐそく、みつぐそく)と呼ばれます。そして宗派によってはこれらの道具に加えて茶水や、ご飯とお団子をお供えいたします。

神式の場合は、八足机(はっそくのつくえ)の上に三方(さんぽう)という台を置き、その左右に榊を入れた花立てと燭台を並べます。そして三方の上に塩・水・洗米・御神酒をお供えいたします。さらに、故人様が好まれていた食べ物をお供えすることもあるそうです。仏式の場合と異なり、こちらでは肉や魚もお供えすることができます。

では、どうして枕飾りを行うのでしょうか?
大きな理由の一つとして、お通夜やご葬儀への参列が叶わない方や、訃報を聞いてすぐに駆けつけて下さった方に焼香やお参りをして頂くためという理由があります。お寺様に枕経(まくらぎょう)をあげて頂くための準備としての役割もあります。

また、枕飾りに使用する道具にはそれぞれ意味があります。例えば燭台のろうそくの火は、故人様が迷わず成仏できるように、お供えするご飯には生前を振り返って未練を残さないように、という願いが込められています。

今回のブログでは枕飾りの基本についてお話しをさせていただきました。

直葬・家族葬の心響(こきょう)では、斎場へご安置する際はもちろん、一度ご自宅に故人様をお連れし、ご安置を行う場合にも枕飾りをさせていただきます。
そこで次回は、ご自宅にご安置させていただく場合の枕飾りについて取り上げていきます。
ぜひ最後までお付き合いください。

枕飾り

枕飾り①

枕飾り

皆さまこんにちは!
今回直葬・家族葬の心響(こきょう)のブログを担当させていただきます、心響(こきょう)業務部の村橋と申します。よろしくお願いいたします。

さっそくですが、今回のブログでは「枕飾り」についてご紹介させていただきます。

ブログをお読み頂いている皆さまは、枕飾りという言葉を耳にされたことがありますか?
初めて枕飾りという言葉を耳にした時、私は故人様のお顔周りの飾りつけを想像しました。しかし、先輩方のご指導を通して、自分の想像とは全く異なるものであると学びました。

そこで次回のブログでは、枕飾りとは一体どのようなものなのかをご紹介させていただきます。
最後までお付き合いいただけますと幸いです。

枕飾り

直方駅前斎場初打合せ

今日はメインスタッフも忙しくて走り回っているので代打で初打合せ。

駅前斎場は初めてですがロビーも広く正座しなくていいので意外にやり易いですね。

エンディングノートをリバイバル

10年ほど前に作ったエンディングノートを現在のサービスに合わせてリバイバル中。

今年入社した製作部の新人さんも漫画を書けるのでテイストを合わせて描いてもらってます。

写真はスタッフ作です。

亡くなるための準備ではなく人生を見つめ直す機会になればと思いポップなテイストで作っています。

9月にはお配りできると思います。

弔事における装いについて②

喪服

喪服

こんにちは!本日の家族葬・直葬の心響(こきょう)ブログは業務部の坂本が担当させていただきます。
今回は前回に引き続き、弔事(ちょうじ)における装いについてお話しさせていただければと思います。

弔事の際に用意する喪服、これは黒をイメージされる方がほとんどだと思います。
しかし驚くべきことに、昔の日本には白い喪服が主流であった時代があることをご存知でしょうか。理由こそ明らかになってはいませんが、喪服が初めて登場したといわれる奈良時代から1000年以上に渡る長い歴史の中、日本では「喪服は白」という考えが一般的だったのです。

「喪服は黒」という常識が当たり前となった我々には想像し辛いかもしれませんが、時代劇などの切腹シーンで白装束(しろしょうぞく)を着ている姿を思い浮かべると少し納得がいくかもしれません。

白装束

そのような伝統が、なぜ現代の「喪服は黒」という価値観に変わったのでしょうか。
明治時代、皇室のご葬儀に参列した欧米諸国(おうべいしょこく)の国賓(こくひん)達が揃って黒い喪服を着ていたのを見た政府が、海外の目を気にして日本人の会葬者にも黒で統一するよう命令がなされました。
これをきっかけに皇室の喪服は黒と正式に規定され、上流階級の人々の間では黒を喪服の色と見る風潮が高まりました。

そして、庶民の間にも喪服を黒とする認識が広まった決定的なきっかけは第二次世界大戦にあります。
当時の喪服は貸衣装(かしいしょう)を利用することが多く、白と黒のものとが混在していたそうです。しかし大戦が始まり戦死者が増えてくると、着られる頻度が増えたことで白い喪服は汚れが目立ち、すぐに使い物にならなくなってしまいました。
そのため貸衣装屋は汚れが目立たず手入れのしやすい黒の喪服を揃えるようなり、また黒を統一している諸外国の影響も受け、急速に庶民の間にも黒い喪服が広まったという背景があります。
このように我々が何の疑いもなく着用している黒い喪服は、比較的近年になって生まれた風習なのです。

今回は喪服が現在の形に落ち着いた歴史について簡単にお話させていただきました。
次回、この心響(こきょう)ブログをご覧のみなさんが1番気になるであろう、喪服を着る上でのマナーについてお話させていただければと思います。
ぜひお付き合いください。