末期の水③

引き続きブログを担当させていただきます、直葬・家族葬の心響(こきょう)業務部の村橋です。よろしくお願いいたします。
今回のブログでは「末期(まつご)の水」の儀式の成り立ちと、他宗教の類似の儀式を紹介していきます。

「末期の水」の成り立ちには諸説あるのですが、一般的とされているのはお釈迦様の入滅(にゅうめつ)の際のエピソードを由来としているという説です。
自らの死期を悟ったお釈迦様は、喉の渇きを潤すために弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)に水を汲んでくるように頼みます。阿難尊者は近くの川へ水を汲みに行きますが、その川は濁っていたため、用意に悩みます。その時信仰心の強い鬼神が現れ、浄水をお釈迦様へ捧げました。これによりお釈迦様は苦しむことなく入滅された、というお話です。
このエピソードが受け継がれて現在の「末期の水」に至る、という考えがなされているそうです。

入滅

さて、ここまでは仏教における「末期の水」について取り上げましたが、調べていくなかで他の宗教でも類似の儀式があることを学びました。

神道(しんとう)では脱脂綿等の代わりに榊(さかき)を使用して同様の儀式を行います。仏教と異なる点として、神道では死は「穢れ(けがれ)」とされているため、これを祓い清めるために榊の葉を用いるそうです。

キリスト教では死を安息と考えられているため、「末期の水」の儀式は行われません。しかしプロテスタント派では「聖餐式(せいさんしき)」という儀式が行われます。臨終に際して牧師が立ち会いパンと葡萄酒を与え、聖書を朗読して安らかに天国へ行けるよう祈るものです。こちらの儀式はキリストの最後の晩餐のエピソードが由来とされています。

ほんの一部の紹介にはなりましたが、他の宗教においても「末期の水」と類似するお別れのための儀式がある事が分かりました。これらの儀式は故人様を偲び行う行為ですが、同時に最後のお別れに向けての見送る側の心の準備を手伝う役割も果たしていると感じました。

今回3つの記事を通して「末期の水」についてお話をさせていただきました。
直葬・家族葬の心響(こきょう)では、故人様との最後のひととき、ご家族様の心残りのないお別れができるよう「末期の水」の儀式などにも柔軟に対応し、お手伝いさせて頂きます。

この度は最後までお付き合い頂きありがとうございました。