遺影写真②

前回に引き続き、直葬・家族葬の心響(こきょう)ブログを担当させていただきます。制作部の先野濵です。
今回は「故人の姿を遺す」ことの歴史的な変遷についてお話しさせていただこうと思います。

遺影写真の起源については諸説ありますが、代表的なものとして挙げられるのは「死絵(しにえ)」です。
死絵とは、亡くなった歌舞伎役者を描いた浮世絵のことで、役者の訃報を知らせる目的で、命日や戒名、寺院などを記載して発行していたようです。観客たちはこれを見て、役者が演じた名場面などを思い出しながら故人を偲んでいたのかもしれませんね。

歌舞伎役者

故人の姿を遺す手段は時代とともに絵から写真へと移り変わり、戦時中には、兵隊の姿を戦地におもむく前に写真に撮って残したそうです。これを皮切りに日本に遺影写真が広まったと考えられています。
「戦争に行く」=「死を覚悟する」という図式が成り立ってしまう時代に、せめてその姿を写真に撮って残しておきたいという家族の思い、生きた証を遺したいという兵隊の思いを感じます。

調べていく中で特に興味深かったのが、明治・大正の頃によく作られたという「葬儀写真集」です。
葬儀写真集という名目ですが、載っているのは葬儀の写真だけではなく、生前の姿から没後の姿までを時間軸の題目付きで写真集としてまとめたもので、福沢諭吉など、著名人のものが多く残っています。
その中の一つ、小説家・尾崎紅葉の葬儀写真集を例に挙げると、壮健時、入院中、退院後、往生、そしてなんと解剖時の写真まで。解剖時の写真は周りを人に囲まれている様子で、本人の体が写っているわけではもちろんありませんが、故人の過ごした時間、空間をくまなく遺そうという作成者の意志を感じます。

歴史的な変遷を見ていくと、先人達が様々な形で故人の姿を遺そうとしてきたことがわかりますね。残された方々の思いや、何より故人本人の「生きた証を刻みたい」「形にして遺しておきたい」という気持ちの表れを感じました。
遺影写真は単なる1枚の写真ではなく、見るだけでその方を思い出せる表象となるものであり、それを作らせていただくことの意義を改めて考えさせられました。一層気を引き締めて、1枚1枚を大切に作らせていただきます。

さて、絵や写真など様々な手段で大切に遺されてきた故人の姿ですが、現代の遺影写真においては技術が進歩し、よりよくする加工を施すことが可能となっています。私もご家族様に喜んでいただけるものを作るにはどうしたらいいか日々勉強しています。

そこで次回は、遺影写真の加工についてお話ししたいと思います。
また原稿を選ぶとき、どんな写真だとよりきれいに仕上がるのか、皆さんの「この写真でも大丈夫?」という疑問を解消できるよう、直葬・家族葬の心響(こきょう)ではどんな加工が可能なのかについてお話ししたいと思います。
次回も宜しくお願い致します!