オープンに間に合わなかった椅子ようやく入荷。
雨も上がり
今回の連休で初盆営業の追い込みをかけアドバンテージを取っておきたい。
月末からインターンシップ始まりますからね。
次の一手
新しい心響グループの斎場が順次オープンし更なる目標を掲げて次の一手。
次もFCさんの新規オープンを目指すわけですが次の斎場企画は少し骨の折れる内容。
さぁうまく行きますかな。
カラー額はじめました
今まで黒縁の額のみの対応でしたがお客様の声もありカラー額も選べるようにいたしました。
最近では和室に飾る方も少ないようにありリビングなど身近なところにお蹴りようにとの声です。
寺院葬の新しい形
新しくお寺様とのコラボ企画。
今までにない心響スタイルがスタート致します。
場所は北九州市戸畑区です。
葬儀金額は心響グループと連動しておりますので安心です。
控室や宿泊も心響グループと同じようお手伝いいたます。
棺掛け・修多羅・守刀③
皆様、こんにちは。
前回に引き続き、総合管理部の梅山が担当させていただきます。
よろしくお願い致します。
前回は「棺掛け(かんかけ)」「修多羅(しゅたら)」「守刀(まもりがたな)」についてご紹介させていただきました。今回はどのように置かれているのか、ご紹介させていただきたいと思います。
皆様は「棺掛け」「修多羅」「守刀」がどのように置かれているかご覧になったことはありますか?
これらの道具はそれぞれ故人様をお守りするためにあります。
棺掛けは伝統的には七條袈裟であることは前回ご紹介させていただきました。
この七條袈裟を着用するときに欠かせないものが修多羅になります。棺の上では棺掛けの上に修多羅を真っ直ぐそえます。このとき修多羅の表裏に注意して棺の上に置く必要があります。表は一番上に組まれている紐が交差されており、裏は紐が十字に組まれている型になります。私は最初の頃に表裏を間違えてしまったことがあるので、間違えてしまわないように気をつけるようになりました。
「守刀」は「棺掛け」「修多羅」の上から故人様の胸元に置くようにします。
この時の注意点として『決して刃先を喉元に向けてはいけない』ということです。ちなみに「守刀」は浄土真宗では使われません。その理由として、死後、阿弥陀如来に導かれ、すぐに極楽浄土へ行き救われるとされているため必要とされていません。
「棺掛け」「修多羅」「守刀」は実際このようにして置かれています。
一つ一つの道具が故人様をお守りしていると思うと、置くときも失礼の無いよう今まで以上に気を引き締めて取り組んでいきたいと思います!
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
棺掛け・修多羅・守刀②
皆様、こんにちは。
前回に引き続き、総合管理部の梅山が担当させていただきます。よろしくお願い致します。
今回は「棺掛け(かんかけ)」「修多羅(しゅたら)」「守刀(まもりがたな)」についてご紹介させていただきます。
まず、最初に「棺掛け」のご紹介をさせていただきます。
葬儀の際に棺の上にかける布のことです。神式では白い布で棺を覆い、仏式では僧侶が着ている七条袈裟(しちじょうけさ)を掛けることが伝統的な棺掛けとなっています。棺掛けは袈裟であることから掛けることによって故人様は出家をし、僧侶となります。
次にご紹介させていただく「修多羅」とは、サンスクリット語でスートラの音写語で、漢字に直したとき「修多羅」となったとされています。「修多羅」はお経を意味しています。お経というのはいつの時代でも不変であるということを表しているとされています。
最後にご紹介させていただく「守刀」とは、亡くなった方の胸元もしくは枕元におく刀です。これは一般的には亡くなった方をお守りするためのものになります。何から守るのかというと災いや邪悪から亡くなった方の身を守るために置かれています。
今回簡単にではありますが「棺掛け」、「修多羅」、「守刀」をご紹介させていただきました。
こうした意味を調べるとより一層大切に故人様の元へお届けしようという気持ちが湧いてきます。
次回は「棺掛け」「修多羅」「守刀」をどのように置かれているのかご紹介させていただきます。
ぜひよろしくお願い致します。
棺掛け・修多羅・守刀①
皆様、はじめまして。
本日より直葬・家族葬の心響(こきょう)のブログを担当させて頂く、総合管理部の梅山と申します。どうぞよろしくお願い致します。
さっそくですが、皆様は「棺掛け(かんかけ)修多羅(しゅたら)守刀(まもりがたな)」というものをご存知ですか?
心響(こきょう)へ配達に行く際にこれはどういった意味を持つものだろうと疑問に思った道具です。
ぜひ皆様にも知っていただきたく、次回からご紹介させていただきたいと思います。
よろしくお願い致します。
遺影写真③
直葬・家族葬の心響(こきょう)ブログをご覧の皆様、こんにちは!
引き続き、制作部の先野濵が担当させていただきます。
前回は遺影写真の歴史的な変遷についてお話し、私が決意を新たにしたところでした。
今回は、遺影写真の原稿を選ぶ際、どのように選ぶとより良いものが出来上がるのか、また、心響(こきょう)ではどのような遺影写真の加工ができるのかについてお話しさせていただきたいと思います。
直葬・家族葬の心響(こきょう)では、「プリントアウトした時のお顔が親指の腹より大きいもの」を原稿としてお選びいただくことを推奨しています。
しかし、そのような原稿がない場合も作成は可能です。
【例1】
「顔は大きく写っているけれど、服がパジャマだ…」
大丈夫です!
直葬・家族葬の心響(こきょう)では、お洋服の着せ替え加工が可能でございます。
お着物やスーツ、普段着のようなものまでサンプルを豊富に用意しており、故人様が生前お召しになっていたお洋服の系統に近いものや、正装を、サンプルの中から自由にお選びいただけます。
【例2】
「頭のてっぺんが見切れてる…」「肩が隣に写っている人で隠れてる…」
大丈夫です!
ある程度であれば、頭のてっぺんや肩の見切れを復元することが可能でございます。お気軽にご相談ください。
直葬・家族葬の心響(こきょう)ブログをご覧いただきありがとうございました。
これからもご家族様に喜んでいただける遺影写真を作れるよう精進いたします!
遺影写真②
前回に引き続き、直葬・家族葬の心響(こきょう)ブログを担当させていただきます。制作部の先野濵です。
今回は「故人の姿を遺す」ことの歴史的な変遷についてお話しさせていただこうと思います。
遺影写真の起源については諸説ありますが、代表的なものとして挙げられるのは「死絵(しにえ)」です。
死絵とは、亡くなった歌舞伎役者を描いた浮世絵のことで、役者の訃報を知らせる目的で、命日や戒名、寺院などを記載して発行していたようです。観客たちはこれを見て、役者が演じた名場面などを思い出しながら故人を偲んでいたのかもしれませんね。
故人の姿を遺す手段は時代とともに絵から写真へと移り変わり、戦時中には、兵隊の姿を戦地におもむく前に写真に撮って残したそうです。これを皮切りに日本に遺影写真が広まったと考えられています。
「戦争に行く」=「死を覚悟する」という図式が成り立ってしまう時代に、せめてその姿を写真に撮って残しておきたいという家族の思い、生きた証を遺したいという兵隊の思いを感じます。
調べていく中で特に興味深かったのが、明治・大正の頃によく作られたという「葬儀写真集」です。
葬儀写真集という名目ですが、載っているのは葬儀の写真だけではなく、生前の姿から没後の姿までを時間軸の題目付きで写真集としてまとめたもので、福沢諭吉など、著名人のものが多く残っています。
その中の一つ、小説家・尾崎紅葉の葬儀写真集を例に挙げると、壮健時、入院中、退院後、往生、そしてなんと解剖時の写真まで。解剖時の写真は周りを人に囲まれている様子で、本人の体が写っているわけではもちろんありませんが、故人の過ごした時間、空間をくまなく遺そうという作成者の意志を感じます。
歴史的な変遷を見ていくと、先人達が様々な形で故人の姿を遺そうとしてきたことがわかりますね。残された方々の思いや、何より故人本人の「生きた証を刻みたい」「形にして遺しておきたい」という気持ちの表れを感じました。
遺影写真は単なる1枚の写真ではなく、見るだけでその方を思い出せる表象となるものであり、それを作らせていただくことの意義を改めて考えさせられました。一層気を引き締めて、1枚1枚を大切に作らせていただきます。
さて、絵や写真など様々な手段で大切に遺されてきた故人の姿ですが、現代の遺影写真においては技術が進歩し、よりよくする加工を施すことが可能となっています。私もご家族様に喜んでいただけるものを作るにはどうしたらいいか日々勉強しています。
そこで次回は、遺影写真の加工についてお話ししたいと思います。
また原稿を選ぶとき、どんな写真だとよりきれいに仕上がるのか、皆さんの「この写真でも大丈夫?」という疑問を解消できるよう、直葬・家族葬の心響(こきょう)ではどんな加工が可能なのかについてお話ししたいと思います。
次回も宜しくお願い致します!