お供えするご飯と団子について③

一膳めし

みなさんこんにちは!
心響(こきょう)業務所属の坂本です。
前回の記事ではご飯と団子の持つ意味合いについてお話させていただきました。
今回はそのように深い意味合いを持つ食事を浄土真宗ではなぜ必要としないのか、という点についてお話できればと思います。

結論からお話しすると、それは浄土真宗の死生観(しせいかん)が他宗派とは全く異なり、死後、故人はすぐに成仏(じょうぶつ)して極楽浄土へ導かれるとの考えから来ているようです。
つまり他宗派にあるような冥土(めいど)に向かう長い旅路(たびじ)は存在しないため、「空腹になった時のお弁当」としてのお供えは大きな意味をなさないのです。

子供の頃、みなさんも「箸をご飯に立てるな!」とお叱りを受けたことはありませんか?この行為には「この世とあの世の橋渡し」という語呂合わせのような意味が含まれているからです。つまり箸を立てるのは亡くなった方へご飯を召し上がっていただくためのお供えの方法であるため、もちろん浄土真宗では箸を立てる習慣はありません。

このように、浄土真宗における食事の考えは同じ仏教であっても他宗派とは全く違うものがあるようです。ご飯一つとってもこれほどの違いがあるなんて、お葬儀の仕事は奥深いと感じました。

家族葬・直葬の心響(こきょう)では仏教のみならず神道(しんとう)やキリスト教など、様々な形式でのお葬儀まで執り行っております。私も様々な宗派の特徴や違いについてどんどん知識を身に付けなければいけません!

最後までお読みいただきありがとうございました。
また別の事柄についても勉強し、掲載させていただければと思いますので覗いていただけると幸いです!

一膳めし

お供えするご飯と団子について②

極楽浄土

皆さんこんにちは!
前回に引き続きブログを書かせていただく心響(こきょう)業務の坂本です。
今回は、そもそもご飯と団子はどういう意図でお供えし、お見送りの際にお棺の中に一緒にお入れしているのかについてお話させていただきます。

一般的に、仏教では故人の魂は冥土にたどり着くまで長い旅をすると考えられており、お棺の中に共にお入れするご飯と団子は旅のお弁当として空腹になった時に食べていただくためのものとされています。

また仏教にはお釈迦様が亡くなった時、菩薩様が団子をお供えしたという逸話があり、そこから団子には旅のお弁当としての意味に加えて「空腹に苦しんでいる人に出逢ったら団子を分け徳を積むことで、極楽浄土へ導かれてほしい、来世はより良い境遇に生まれ変わってほしい」との考えも含まれております。

ちなみに団子を用意する個数については6個,7個,10個,13個,49個と地域によって異なり、それぞれに意味があるようです。
直葬・家族葬の心響(こきょう)でお供えしている13個の団子には「故人の魂を浄土へ導く十三仏(じゅうさんぶつ)にお供えする」という意味が含まれています。

以上のように、ご飯や団子には仏教において大変重要な意味合いが含まれていることが理解いただけたかと思います。それと同時になぜ浄土真宗のみがこれらを必要としないのか!?という疑問が深まったと思いますので、次回はその点についてお話させていただこうと思います。
ぜひお楽しみに!

極楽浄土