棺掛け・修多羅・守刀③

棺掛け・修多羅・守刀

皆様、こんにちは。
前回に引き続き、総合管理部の梅山が担当させていただきます。
よろしくお願い致します。

前回は「棺掛け(かんかけ)」「修多羅(しゅたら)」「守刀(まもりがたな)」についてご紹介させていただきました。今回はどのように置かれているのか、ご紹介させていただきたいと思います。

皆様は「棺掛け」「修多羅」「守刀」がどのように置かれているかご覧になったことはありますか?
これらの道具はそれぞれ故人様をお守りするためにあります。

棺掛けは伝統的には七條袈裟であることは前回ご紹介させていただきました。
この七條袈裟を着用するときに欠かせないものが修多羅になります。棺の上では棺掛けの上に修多羅を真っ直ぐそえます。このとき修多羅の表裏に注意して棺の上に置く必要があります。表は一番上に組まれている紐が交差されており、裏は紐が十字に組まれている型になります。私は最初の頃に表裏を間違えてしまったことがあるので、間違えてしまわないように気をつけるようになりました。

「守刀」は「棺掛け」「修多羅」の上から故人様の胸元に置くようにします。
この時の注意点として『決して刃先を喉元に向けてはいけない』ということです。ちなみに「守刀」は浄土真宗では使われません。その理由として、死後、阿弥陀如来に導かれ、すぐに極楽浄土へ行き救われるとされているため必要とされていません。

「棺掛け」「修多羅」「守刀」は実際このようにして置かれています。

棺掛け・修多羅・守刀

一つ一つの道具が故人様をお守りしていると思うと、置くときも失礼の無いよう今まで以上に気を引き締めて取り組んでいきたいと思います!
最後までお読み頂き、ありがとうございました。

棺掛け・修多羅・守刀②

守刀

皆様、こんにちは。
前回に引き続き、総合管理部の梅山が担当させていただきます。よろしくお願い致します。
今回は「棺掛け(かんかけ)」「修多羅(しゅたら)」「守刀(まもりがたな)」についてご紹介させていただきます。

まず、最初に「棺掛け」のご紹介をさせていただきます。
葬儀の際に棺の上にかける布のことです。神式では白い布で棺を覆い、仏式では僧侶が着ている七条袈裟(しちじょうけさ)を掛けることが伝統的な棺掛けとなっています。棺掛けは袈裟であることから掛けることによって故人様は出家をし、僧侶となります。

棺掛け

次にご紹介させていただく「修多羅」とは、サンスクリット語でスートラの音写語で、漢字に直したとき「修多羅」となったとされています。「修多羅」はお経を意味しています。お経というのはいつの時代でも不変であるということを表しているとされています。

修多羅

最後にご紹介させていただく「守刀」とは、亡くなった方の胸元もしくは枕元におく刀です。これは一般的には亡くなった方をお守りするためのものになります。何から守るのかというと災いや邪悪から亡くなった方の身を守るために置かれています。

守刀

今回簡単にではありますが「棺掛け」、「修多羅」、「守刀」をご紹介させていただきました。
こうした意味を調べるとより一層大切に故人様の元へお届けしようという気持ちが湧いてきます。

次回は「棺掛け」「修多羅」「守刀」をどのように置かれているのかご紹介させていただきます。
ぜひよろしくお願い致します。

棺掛け・修多羅・守刀①

棺掛け

皆様、はじめまして。
本日より直葬・家族葬の心響(こきょう)のブログを担当させて頂く、総合管理部の梅山と申します。どうぞよろしくお願い致します。

さっそくですが、皆様は「棺掛け(かんかけ)修多羅(しゅたら)守刀(まもりがたな)」というものをご存知ですか?
心響(こきょう)へ配達に行く際にこれはどういった意味を持つものだろうと疑問に思った道具です。

ぜひ皆様にも知っていただきたく、次回からご紹介させていただきたいと思います。
よろしくお願い致します。

棺掛け

遺影写真③

写真加工

直葬・家族葬の心響(こきょう)ブログをご覧の皆様、こんにちは!
引き続き、制作部の先野濵が担当させていただきます。

前回は遺影写真の歴史的な変遷についてお話し、私が決意を新たにしたところでした。

今回は、遺影写真の原稿を選ぶ際、どのように選ぶとより良いものが出来上がるのか、また、心響(こきょう)ではどのような遺影写真の加工ができるのかについてお話しさせていただきたいと思います。

直葬・家族葬の心響(こきょう)では、「プリントアウトした時のお顔が親指の腹より大きいもの」を原稿としてお選びいただくことを推奨しています。
しかし、そのような原稿がない場合も作成は可能です。

【例1】
「顔は大きく写っているけれど、服がパジャマだ…」

大丈夫です!
直葬・家族葬の心響(こきょう)では、お洋服の着せ替え加工が可能でございます。
お着物やスーツ、普段着のようなものまでサンプルを豊富に用意しており、故人様が生前お召しになっていたお洋服の系統に近いものや、正装を、サンプルの中から自由にお選びいただけます。

【例2】
「頭のてっぺんが見切れてる…」「肩が隣に写っている人で隠れてる…」

大丈夫です!
ある程度であれば、頭のてっぺんや肩の見切れを復元することが可能でございます。お気軽にご相談ください。

写真加工

直葬・家族葬の心響(こきょう)ブログをご覧いただきありがとうございました。
これからもご家族様に喜んでいただける遺影写真を作れるよう精進いたします!

遺影写真②

歌舞伎役者

前回に引き続き、直葬・家族葬の心響(こきょう)ブログを担当させていただきます。制作部の先野濵です。
今回は「故人の姿を遺す」ことの歴史的な変遷についてお話しさせていただこうと思います。

遺影写真の起源については諸説ありますが、代表的なものとして挙げられるのは「死絵(しにえ)」です。
死絵とは、亡くなった歌舞伎役者を描いた浮世絵のことで、役者の訃報を知らせる目的で、命日や戒名、寺院などを記載して発行していたようです。観客たちはこれを見て、役者が演じた名場面などを思い出しながら故人を偲んでいたのかもしれませんね。

歌舞伎役者

故人の姿を遺す手段は時代とともに絵から写真へと移り変わり、戦時中には、兵隊の姿を戦地におもむく前に写真に撮って残したそうです。これを皮切りに日本に遺影写真が広まったと考えられています。
「戦争に行く」=「死を覚悟する」という図式が成り立ってしまう時代に、せめてその姿を写真に撮って残しておきたいという家族の思い、生きた証を遺したいという兵隊の思いを感じます。

調べていく中で特に興味深かったのが、明治・大正の頃によく作られたという「葬儀写真集」です。
葬儀写真集という名目ですが、載っているのは葬儀の写真だけではなく、生前の姿から没後の姿までを時間軸の題目付きで写真集としてまとめたもので、福沢諭吉など、著名人のものが多く残っています。
その中の一つ、小説家・尾崎紅葉の葬儀写真集を例に挙げると、壮健時、入院中、退院後、往生、そしてなんと解剖時の写真まで。解剖時の写真は周りを人に囲まれている様子で、本人の体が写っているわけではもちろんありませんが、故人の過ごした時間、空間をくまなく遺そうという作成者の意志を感じます。

歴史的な変遷を見ていくと、先人達が様々な形で故人の姿を遺そうとしてきたことがわかりますね。残された方々の思いや、何より故人本人の「生きた証を刻みたい」「形にして遺しておきたい」という気持ちの表れを感じました。
遺影写真は単なる1枚の写真ではなく、見るだけでその方を思い出せる表象となるものであり、それを作らせていただくことの意義を改めて考えさせられました。一層気を引き締めて、1枚1枚を大切に作らせていただきます。

さて、絵や写真など様々な手段で大切に遺されてきた故人の姿ですが、現代の遺影写真においては技術が進歩し、よりよくする加工を施すことが可能となっています。私もご家族様に喜んでいただけるものを作るにはどうしたらいいか日々勉強しています。

そこで次回は、遺影写真の加工についてお話ししたいと思います。
また原稿を選ぶとき、どんな写真だとよりきれいに仕上がるのか、皆さんの「この写真でも大丈夫?」という疑問を解消できるよう、直葬・家族葬の心響(こきょう)ではどんな加工が可能なのかについてお話ししたいと思います。
次回も宜しくお願い致します!

遺影写真①

遺影写真

皆さんこんにちは!
今回から直葬・家族葬の心響(こきょう)ブログを担当させていただきます。制作部の先野濵です。

入社して3ヶ月、制作部の私がほぼ毎日作成しているもの。それは「遺影写真」です。

ご家族様から原稿となるお写真をお預かりし、故人様のお姿をご家族様のもとによりよく遺せるよう、先輩の指導のもと日々作成しております。故人様を象徴する1枚を作らせていただけることにとてもやりがいを感じています。

その日々の中でふと「故人の姿を遺す」という風習がいつから始まり、どのように広まったものなのか疑問に思い興味が湧きました。
次回は遺影写真の起源や「故人の姿を遺す」ということに関する歴史的な変遷について、私が調べ感じたことをお話しさせていただきたいと思います。宜しくお願い致します。

遺影写真

末期の水③

入滅

引き続きブログを担当させていただきます、直葬・家族葬の心響(こきょう)業務部の村橋です。よろしくお願いいたします。
今回のブログでは「末期(まつご)の水」の儀式の成り立ちと、他宗教の類似の儀式を紹介していきます。

「末期の水」の成り立ちには諸説あるのですが、一般的とされているのはお釈迦様の入滅(にゅうめつ)の際のエピソードを由来としているという説です。
自らの死期を悟ったお釈迦様は、喉の渇きを潤すために弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)に水を汲んでくるように頼みます。阿難尊者は近くの川へ水を汲みに行きますが、その川は濁っていたため、用意に悩みます。その時信仰心の強い鬼神が現れ、浄水をお釈迦様へ捧げました。これによりお釈迦様は苦しむことなく入滅された、というお話です。
このエピソードが受け継がれて現在の「末期の水」に至る、という考えがなされているそうです。

入滅

さて、ここまでは仏教における「末期の水」について取り上げましたが、調べていくなかで他の宗教でも類似の儀式があることを学びました。

神道(しんとう)では脱脂綿等の代わりに榊(さかき)を使用して同様の儀式を行います。仏教と異なる点として、神道では死は「穢れ(けがれ)」とされているため、これを祓い清めるために榊の葉を用いるそうです。

キリスト教では死を安息と考えられているため、「末期の水」の儀式は行われません。しかしプロテスタント派では「聖餐式(せいさんしき)」という儀式が行われます。臨終に際して牧師が立ち会いパンと葡萄酒を与え、聖書を朗読して安らかに天国へ行けるよう祈るものです。こちらの儀式はキリストの最後の晩餐のエピソードが由来とされています。

ほんの一部の紹介にはなりましたが、他の宗教においても「末期の水」と類似するお別れのための儀式がある事が分かりました。これらの儀式は故人様を偲び行う行為ですが、同時に最後のお別れに向けての見送る側の心の準備を手伝う役割も果たしていると感じました。

今回3つの記事を通して「末期の水」についてお話をさせていただきました。
直葬・家族葬の心響(こきょう)では、故人様との最後のひととき、ご家族様の心残りのないお別れができるよう「末期の水」の儀式などにも柔軟に対応し、お手伝いさせて頂きます。

この度は最後までお付き合い頂きありがとうございました。

末期の水②

末期の水

前回に引き続き、ブログを担当させていただく直葬・家族葬の心響(こきょう)業務部の村橋です。よろしくお願いいたします。
今回のブログでは「末期(まつご)の水」の儀式で使用される道具と、儀式の流れについてお話をさせていただきます。

「末期の水」の儀式は、「故人様の喉が渇いて苦しまないように」という願いが込められています。元々は臨終の間際に行われていましたが、現在では臨終後に行うことが一般的になっています。

この儀式を行う際には、箸の先端に脱脂綿等を巻きつけ固定したものと、水を入れた椀やコップを用意します。そして綿を水につけ湿らせて、上唇から下唇の順番で左から右へとなぞるように故人様の口元に当てて差し上げます。

この「末期の水」の儀式には故人様の喉が渇かないように、という意味合いがありますが、お口に入れるのではなくあくまで唇を湿らせて差し上げる程度にとどめておきます。

また、口元に当てて差し上げる際に使う道具は地域によっては脱脂綿だけではなく、菊の葉や樒(しきみ)、筆、鳥の羽を使用する場合もあるそうです。
前述した行為を、喪主様を始めとして立ち合われた方々が縁の深い順に行い、最後には故人様のお顔をきれいに拭いて差し上げます。

私が拝見させていただいた際には、ご家族様が儀式を行われている間、お寺様が故人様の足元側でお経を上げられていました。
この儀式は主に仏教で行われますが、例外として浄土真宗では必要とされていません。必要とされていない訳としては、浄土真宗では亡くなると直接極楽浄土へ導かれる、といった考え方であり、故人様が死後に苦しむことはないとされているため「末期の水」の儀式は不要とされています。

末期の水

今回のブログでは「末期の水」の儀式における必要な道具や儀式の流れを取り上げました。
次回は「末期の水」の成り立ちと他宗教の類似する儀式のお話しをさせていただきます。

末期の水①

末期の水

皆さんこんにちは。

今回、直葬・家族葬の心響(こきょう)のブログを担当させていただきます、心響(こきょう)業務部の村橋と申します。よろしくお願いいたします。

突然ですが、皆さまは「末期(まつご)の水」という言葉を耳にされたことはありますか?

私は直葬・家族葬の心響(こきょう)に入社し、お式などに携わらせて頂く中で、「末期の水」の儀式を見学する機会がありました。
「末期の水」は「死に水」と呼ばれることもある、故人様の口元に水を含ませて差し上げる儀式です。
私自身、実際に拝見させて頂くまでこの儀式についての知識がなかったため、非常に興味深く感じました。

そこで次回からは「末期の水」という儀式について紹介していきたいと思います。

末期の水

お供えするご飯と団子について③

一膳めし

みなさんこんにちは!
心響(こきょう)業務所属の坂本です。
前回の記事ではご飯と団子の持つ意味合いについてお話させていただきました。
今回はそのように深い意味合いを持つ食事を浄土真宗ではなぜ必要としないのか、という点についてお話できればと思います。

結論からお話しすると、それは浄土真宗の死生観(しせいかん)が他宗派とは全く異なり、死後、故人はすぐに成仏(じょうぶつ)して極楽浄土へ導かれるとの考えから来ているようです。
つまり他宗派にあるような冥土(めいど)に向かう長い旅路(たびじ)は存在しないため、「空腹になった時のお弁当」としてのお供えは大きな意味をなさないのです。

子供の頃、みなさんも「箸をご飯に立てるな!」とお叱りを受けたことはありませんか?この行為には「この世とあの世の橋渡し」という語呂合わせのような意味が含まれているからです。つまり箸を立てるのは亡くなった方へご飯を召し上がっていただくためのお供えの方法であるため、もちろん浄土真宗では箸を立てる習慣はありません。

このように、浄土真宗における食事の考えは同じ仏教であっても他宗派とは全く違うものがあるようです。ご飯一つとってもこれほどの違いがあるなんて、お葬儀の仕事は奥深いと感じました。

家族葬・直葬の心響(こきょう)では仏教のみならず神道(しんとう)やキリスト教など、様々な形式でのお葬儀まで執り行っております。私も様々な宗派の特徴や違いについてどんどん知識を身に付けなければいけません!

最後までお読みいただきありがとうございました。
また別の事柄についても勉強し、掲載させていただければと思いますので覗いていただけると幸いです!

一膳めし